2000年USAサイン研修 200年4月24日~5月4日

1. 屋外広告物報告 (「綜合報道」紙 2000年7月25日第1337号掲載)
2. 旅行記

1.巨大で人を魅了する広告
     (「総合報道」紙 2000年7月25日 第1337号掲載)

 ~ドットコム企業が屋外へ出稿~

新素材、システムのノウハウ

 ビルボードはターポリン、ウォールスケイプはメッシュ系ビニール素材にインクジェットプリンしたものが主流。
デザインにより素材は使い分けられ、耐久性はもちろん再はく離系の開発が進む。
塩ビよりもペイントに規制がある。
だが、ハンドペイントも健在だ(イラー社)。

 電飾画面はFF中心。
デジタル出力機はインクジェット系、転写系を問わず高質化(ヌール、サルサ、ビューテック、マタン、MMT社大型ドラム機など)。
製造機(ターボのベンダーなど)、ネオン(グランド・フォルト・プロテクションシリーズ)、動画ディスプレイ(ビデオ、LED)など周辺ハード機材、新商品も目白押しである。
屋外独自のマーケティング手法、費用対効果(CPM)、流動調査(TAB)などのデータ蓄積も担当あるようすで、屋外広告専門の調査会社もある(PRS社)。

 

スペース利用の方法と考え方

 自立式看板はオンプリミス(自家看板)ではないかぎり大型で、数種類に定型化されている(ブルティン、30シート、8シート、スクエア等)。
ただし全米で四万基といわれるビルボードは今や数量規制を受け増えにくい。
その分ビルボード以外に活路を求め、その総称がアウト・オブ・ホーム(OOH)である。
路上(バスシェルター、テレホンキヨスク)、バスラップ、トラック車体(有料媒体として)の定番媒体のほか、モールミュラルス(モール内空きテナントの壁内外)、エアポートラップ(空港ビルの壁や床)、工事現場囲い、空きカベ(ワイルドポスター)、屋上給水塔、ガソリン給油口など「利用できるものはなんでも」(A・マクドナルド女史)である。
エアーアド(セスナーでバナーを引っ張る)も見た。
電柱、ビルの袖看板はなく屋上広告塔も少ない(ボードはある)。
だが、OOHの圧巻は何と言っても巨大建築物の壁面広告。
西欧中世のフレスコ画以来の伝統であろう。
なお、空き媒体を代理店が抱える考え方はないようだ。


屋外広告への掲出業種

 風俗以外なんでもあるが、中心はやはり大衆大量消費社会型の産業・企業である。
自動車、衣料、化粧品、食品・ドリンク、メディア(通信・放送)、保険など。
特筆すべきはドットコム企業の掲出量の多さ。
彼らはタバコの屋外広告禁止(99年4月)によって生じたスペース(特にビルボード)の多くを埋め、売上げの30%を広告費に使い、昨年一年だけで掲出料相場を5倍に高騰させた。
この傾向は、一巡するまであと2~3年は続く予想だ。
日本企業の掲出はかなり減り、日産は健闘の印象(新会社ルノーが北米に販売網をもたないためか)。
ソニー、トヨタなども抑えている感じ。
韓国企業はサムソンに続く企業が出てきた。
また、中華人民共和国初のタイムズスクエア広告も登場した(三九◯◯)。
古くからのビーフイーター、マクスウェルハウス等も健在で、タイムズスクエアのマリオットホテル壁面にミスター・ピーナツが復活した。

屋外のエンターテインメント性

 とにかく魅せる広告が多い。
まずビルボード(特にブルティン)は、その巨大さ自体で人を魅了。
JALサンセットストリップのタテ型ボードはブルティンより巨大(ビールのミラー)。
サンタモニカ通りのブルティン群は、モンスターの行進の如き異様さだ。
ラスベガスのテーマホテル群は、建物それ自体が広告表現である上に、個々の屋外装飾塔(入口看板)は大型動画、照明・電飾を総動員した造形物そのもの。
NYタイムズスクエアも、広告物はいかに人の目を引きつけるかの創意工夫に満ちあふれている。
三次元の利用、ストーリー性ある動きの導入、夜間路上への広告投影、人目もあざむく巨大壁面LEDの投入(ナスダック)など、意匠表現や仕掛けも最先端。
テレビCMが30秒70語で表現する内容を屋外は10秒7語で表現しなければならない。
無駄を省きシンプルに凝縮、人に魅せねばならない。
屋外広告のエンターテインメント性はそこにあり、米国で好例を見ることができた。

 
2.旅行記

合衆国西部時間 2000年4月24日(月) 
 朝8:18、ロサンゼルス国際空港着。
 早速チャ-タ-バスにて視察に出発。
 センチュリ-シテイは広告物ではみるべきものはないとのことで、ビヴァリ-ヒルズのロデオドライヴまで行って下車。ここは広告物視察というより観光の拠点。全米にショッピングセンタ-(やアウトレット)は
いまや43,000箇所あるそうだが、ここは東部のワシントンDCのTysonとならぶ高級ショッピング街とのことだ。ここのルイ・ヴィトンはできたばかりの様子だが、店舗面積はヴィトンのなかでは世界最大とか。10:40から11:20までいた。
 来たぞ、アメリカへ。1995年以来5年間もよく来ないで我慢できたものだ。鼻いっぱい空気を吸い込み、
背筋をのばし、大股で大地を踏みしめる。
 ロデオドライヴからは、路面の電車軌道が撤去されているサンタモニカ・ブルヴァ-ド(大通り)を東に進む。この軌道は山を越え、パサデイナの方まで45kmくらいあったそうだ。車社会の到来で撤去になった。
 次に下車したのは、サンセット・ストリップ。下車して10秒も歩かない内にどでかいタテ型の屋外看板がが目に飛び込んできた。これか!インポテンツのラ-クってのは!ここだったのか! しかしラ-クではなく、いまやビ-ルのMiller、だった。が、何かパンチに欠けるデザインで、アメリカらしくない。綜合報道の高橋社長もご同感のようすであった。しかし構造物自体は巨大である。近づいてまじまじとみた。(Outdoor
System社の扱い)
 バスにもどり、サンセット・ストリップをこんどは西に進む。「なぜここをストリップというのか知っている人いますか?」と高橋社長。みんなしばし考え込む。「じゃあ説明しますよ。くねくね曲がっているところをいうのです。」なるほど。しかし反論あり。まだ見ていませんが、ラスヴェガスの大通りもストリップというのではないですか?ラスヴェガスのはまっすぐのはずですが。
 さてここは、14フィ-ト×42フイ-ト(4.2m×12.8m)のスタンダ-ドサイズのブルテインや、30フィ-ト・ポスタ-などのビルボ-ド、またビル壁面の巨大壁画(ウオ-ル・スケイプ)のオンパレ-ドである。さすがのロスアンゼルスにおいてもここはど密集しているところはほかにかぞえるほどしかないそうだ。その質においても、ウオルト・デイズニ-の「DINOSAUR」の大壁画は、ハンド・ペインテイングというし、TOMMY
FILFIGERのインクジェットの壁画にしても巨大である。壁面の5分の1以上を広告面積にしてはならないという日本の広告条例に似た規制はこちらにもありそうだが、具体的に調べてみたい。Outdoor System社、
Eleer社、Van Wagner社、などアメリカ屋外広告大手業者の看板が目立つ。ここを去るとホッとするほどの物量であった。
 12:30,お昼になった。お昼はここから1時間ばかりかかるが、オレンジ郡オレンジ市にある「ザ・ブロック」というアウトレットでとることになり、バスはサンセット・ストリップからドヘニ-・ドライヴへ左折した。右手はビヴァリ-ヒルズの高級住宅街、左手は西ハリウッド地区で、この通りがその境界だそうだ。
ラ・シエネガ通りを南下する。結構交通渋滞する。日産自動車のビルボ-ドをよく見かける。ルノ-に吸収されたのにがんばっているな。(実はルノ-はアメリカに販売網がない)
 インタ-ネットのホ-ムペ-ジのアドレスが、十中、八九の広告物に記載されている。ここはアメリカだから、co.jpではない。ドット・コムである。いわくblockbuster.com、いわくi-motors.com、である。三次元のビルボ-ドもここだけで3例ほどあった。generation colourというのが上品だった。
 インタ-ステイト10号線から110号線に乗り継いでいくと、片側7車線になる。そこの車線表示は左から、「ビジネスオンリ-」1車線、「Carpools Only」2車線、であったが「Carpools Only」とは2人以上乗車している乗用車(2 or more persons per vehicle)専用レ-ンである。これに違反して1人乗用車がここを走行した場合、271ドルの罰金だそうである。通過していく出口(exit)のそとの一般道路に30シ-ト・ポスタ-パネルなどが立っている。
 同乗の現地ガイドの佐藤氏は、映画関係志望でこちらに来たが住みついてしまって18年たつそうだが、映画関係だったせいか、あの映画のロケ地はここです、この映画のあのシ-ンはそこで撮られました、という具合で30例ほども説明してくださったが、僕にピンときたのは次の2例くらい。
  1.「ダイハ-ド」のあの高層ビルは、センチュリ-シテイのメトロゴ-ルデンメイヤ-本社ビルの外観が使われた。今朝、その前を通ったが、高層とまではみえなかった。会社は経費節減したのだと。
  2.キアヌ・リ-ブスの「スピ-ド」で高速道路が切れていた現場はこれから行く105号線です。この線は用地買収に30年かかり、3年まえに開通したが、映画は開通前に撮影されました、というぐあい。ほんとうにあのバスはここでジャンプしたのかどうかは、きき忘れた。
 105号線~605号線~405号線と来て、右手には広大な畑が広がる。この畑の地下は海軍の弾薬庫、兵器廠だそうだ。
 このへんの景色には貸倉庫(storage)も多い。カリフォルニア州ハイウェイ22号線に入ってすぐ「ザ・ブロック」に到着した。13:35.

 さて、「ザ・ブロック」であるが、これは予定外のスケジュ-ルであったようだが、屋外広告、屋外装飾、店舗形態の発想の観点からも注目すべきである、とガイド氏は言った。というのは、いまや現地(アメリカ)の人々には「ショッピング・モ-ル」には飽きがきていて、モ-ル業、およびモ-ル業界の打開策として発想、建設、成功した例というのだから、そういうものは、ぜひ見ておきたい。形態上でいえば、「ショッピング・モ-ル」がひとつのおおきな建物のなかに複数のテナントを収容するのに対し、「アウトレット」は基本的には一つの建物に一つのテナント、一つの駐車場とし、そういう複数棟の集合体が「アウトレット」である、ということのようだ。12年前、ニュ-ジャ-ジ-でつれていってもらったモ-ルや、7年前、フィラデルフィア近郊で迷い込んだモ-ルは巨大であった。アメリカ人もそれを誇りにしていたふしがある。12年前私を連れていってくれたMr.Larry Doyleはモ-ルは新しい形態だと情熱をこめて説明してくれた。
 その後、日本でもモ-ルと銘うつ形式がふえた。またアウトレットという売りもでてきている(横浜市金沢区の三井不動産がやっている横浜ベイサイドマリ-ナ等)。が、ベイサイドマリ-ナは見に行ったがよく理解できなかったし、ほんとうのところ、「アウトレット」なるものを、この目でよくみておきたい。
 アパレルの店が多かった。食べ物屋、映画館、ゲ-ム館・・・。敷地中央に店舗棟を配置し、取り囲むように駐車場。広告、装飾の表現、素材でも特に・・・・・・。いまいちピンと来ない。佐藤氏に、結局どういうことが売りなのでしょうか?とたずねる。「サ-ビス形態です。エンタ-テイメント・モ-ルです。」パンフレットに「アウトレット」という英語はみあたらなかった。 14:40に立つ。

 午後のメインは再びロス市内へもどり、サンタモニカ・ブ-ルヴァ-ドでブルテインをたっぷりみることであった。405号線を北上、州ハイウェイ90号線に入ってすぐ一般道におり、(あとでわかったことだが)マリナ・デル・レイの脇をかすめ。ヴェニス・ビ-チ、オ-シャンパ-ク、サンタモニカ・ビ-チを左にみて、太平洋岸をのろのろと北にすすんだ。このコ-スも予定外だったので、歓声をあげる人がいた。インタ-ステイト10号線の入り口もみえた。大陸横断のもう一つの私の出発点になるであろう所である。(10号線は大西洋岸フロリダ州ジャクソンビルまでつづいている)
 その先、右折し、ウイルシェア-通りにはいり海を離れる。このころから、車内が「ビルボ-ドまだですか?」、「どこにあるのですか?」、「サンタモニカ通りで軌道敷あとの・・・」と落ち着かない。さすがサイン・ツア-ご一行である。ところがガイドの佐藤さん、えっそんな所知らないですよ、私の知るかぎり、軌道が廃止になったところなどないですよう。   ええっ、と今度はこちらが驚く番。 あっ!あそこかなあ?あそこですよう、てなぐあいで10号線eastをひろい、東のほうへ。EXIT4でおりてぐるぐるする。が、ない。高橋社長懸命の説明に、佐藤さん、今度は10号線を西へ。そして405号線を北へ。最初の出口をおりてすぐ、右折、高橋社長「あったあ。あれですよ」
 西日に赤く、ズングリ型のブルテインたちが、交差するスバルヴェダ通リをへだてて、みえてきた。ブルテインはそれぞれ一脚(ユニポ-ル)横長のT字型で、地上高くそびえることもあるが、ここのは、横幅より高さのほうが短くみえるくらいで、なんとなくダックスフンドの雰囲気である。しかし、実際は大きい。スパルヴェダ通りをわたってバスはとまる。さっそく視察におりる。一番手前のブルテインは「GUESS」。つぎのはウオツカの「SUMILNOF」でELLER社の4099の番号がついていた。ブルテインのてっぺんには、長さ2Mくらいの針棒が4基ほど設置されグルグルと回っている。多分電動で、鳥の糞害よけであろう。やることもユ-モラスで本格的だ。
 ここは大小2列の通りが走っており、左側の道幅の広いサンタモニカ通りと、右側の狭いリトル・サンタモニカの間が、10m幅くらいの軌道式のあとである。そこにブルテインが、みはるかすに、7~8基、また両通りの両側にも7~8基ずつ、高さをそろえてずっと先まで続いていく。遠いほうは、西日が何かに反射されてよく見えない。ならば、遠くまで行ってみようかとおもったら、時間の関係だろうか、バスにもどるよう言われ、バスはuタ-ンして早々と高速にのり、今夜のホテルのあるリトル・ト-キョ-に向かってしまった。たっぷり見るはずだったのに、不満であった。今朝、車内放送ででUNION STATIONにもいくとアナウンスがあったが、そこにも寄らず、夕方5:30ころ、NEW OTANI HOTELへ着いた。
  あとは、明日朝まで自由時間。ここが有名なLittle Tokyoかということで散策。道端の新聞スタンドに、メジャ-・リ-グ・ベイスボ-ルの新聞があったので、ドルをいれてとりだし、japanese cousineの店で、バドワイザ-ととんかつ定食をちゅうもんし、さっきの新聞を読みふける。細かい字でデ-タや評論がびっしりのっている40パ-ジのタブロイド紙を堪能した。

2日目 合衆国西部時間2000年4月25日(火曜)
 9:15,二日目の朝、ホテル2階の会議室で、イラ-・メデイア社(Eller Media Company)幹部社員のジャクソン氏と日系3世ケリ-・モリタ氏の講議と質疑応答をおこなった。

ジャクソン氏が「マ-ケと商品」、森田氏がノ-トパソコンのスライド(「101」)を使いながら、「会社概要、マ-ケ」の講義をおこなった。
 イラ-・メデイア社は、1902年創立、全米第二位の屋外広告会社で、媒体と製作の両部門をもち、1999年からは企業買収でラジオ会社クリア・チャンネル・コミュニケ-ションズ(830のラジオ局、19のテレビ局を持つ)の傘下にはいり、その、ラジオ・テレビ・屋外メデイア コンプレックスの一翼でもある。昨日も一日だけでエラ-社のビルボ-ドはたくさん見た。
 自分にとっての要点はだいたい次のとうり。(Q&Aを含め)
1. 媒体関係
 (1)バス停広告(トランジット・シェルタ-ズ)を南カリフォルニア州に1万箇所所有。オレンジ郡では84.5%のシェアを占める。
 (2)「モ-ル・コミュニケ-ションズ・ネットワ-ク」という名のショッピングモ-ル縦断バイタイ面数は2621面、所有。
 (3)ブルチンの掲出料金は1ケ所固定式の場合で、1ケ月4000ドルから5万ドル。最高額は(インタ-ステイト)405号線沿いである。主にフリ-ウェイ沿いに設置。フリ-ウェイをおりて郊外に向かう所に、「30シ-ト」、住宅街に向かう所に正方形の「プルミエ-ル・パネルス」を置く。そうするとタ-ゲットを搾れる。
 (4)壁面広告の規制は都市によって異なる。ビルボ-ドの数量規制もあり、数の割り当てがある。
2.製作関係
 (1)「30シ-ト」を貼る糊は2,3年まえより、環境によいものを使っている。
 (2)製作とはクリエイトということであり、価値をクリエイトすることだ。
 (3)製作方法は、デジタル出力(Eller Degital Imaging)のものと、ペイント書き(Full Servis Paint)
の両方ある。
3.マ-ケ関係
 (1)ロスアンゼルス郡の人口増加率は最近15%ずつである(!)
 (2)オレンジ郡は全米で4番目に豊かな郡である。経済力は750億ドル。
 (3)「トライアングル・スクウェア」、「サウス・コ-スト・プラザ」、「ザ・ブロック、アット・オレンジ」(←昨日行ったアウトレット)が注目されている。そことは、パ-チナ-シップを組んで、屋外装飾をおこなった。新たに「ザ・サンセット・ミレニアム」が進行中である。
 (4)収入別、人口別、民族別、などで独自のマッピングを開発している。

 講義の後はELLER社の工場見学である。(10号線のヴァ-モント・アヴェニュ-で降りた。)
 まずは、ハンド・ペイント部門である。ハンドペイントは、大手では、ELLER社しか手がけていないとのことだ。電灯を消した投影室のなかで、原稿をプロジェクタ-にかけて、ブルチンサイズの壁の用紙の上に、200ボルトの電気ペンでなぞる。(「ステンする」と言っていた。) これをペイント・ル-ムでビニ-ルの上に油性ペイント仕上げする。ペインタ-は5人。ペイントはサンフランシスコのメ-カ-より仕入れているが80年も取引している。ブルチン・サイズ(タテ14feet×ヨコ42feet)の仕上げに必要な塗料は2ガロン・バケツに3杯、3週間ほどかかる。ブルチン・サイズより大きな25×50feet、100×75feet、200×80feet、というのも説明にあった。 実際に貼るところ、取り付けるところを見たいものだ。
  インクジェット・プリント・ル-ムでは、200dpiと、300dpiの出力機を見せていただいた。後者は、5分~10分ですむ商品のさいちゅうであった。PRO-TECH社製のラミネ-タ-があった。高橋社長の説明によれば、デジタル印刷は小型が多く、大型は外注しているという。(←この場合のデジタル印刷とは、インクジェット以外の印刷を指すようだ。)
 マ-ケ関係のル-ムでは、目を見張るものが二つあった。。一つはスペック-ワ-クのための写真の在庫料である。フリ-ランスの写真家と契約し、手がけたサインの写真はもちろん、街の写真も撮ってもらい、CD又はネガフィルムで完全に保存しているという。1970年以前の写真はコンピュ-タ-でア-カイブし、どのようにア-カイブされているかの、ファイルケ-スの外観を拝見した。 二つ目は営業用、またはプレゼン用のA4横サイズの、媒体別の、いわゆる企画書である。左上に大きく現地媒体写真、その下に媒体場所の特徴説明文、右上にELLER社のロゴ、その下に地図を配置してある。料金は書かれていない。今回一番参考になった一つであり、会社規模こそちがえ、考え方は似ているなとおもった。すでにインタ-ネTT上でオンライン化しているが、まだ日本には公開できないとのことであった。
 マ-ケル-ムでその後粘りすぎてしまい、デザイン・ル-ムでの説明を聞きそこねてしまった。ただ壁にタテ型の「Virgin Shagla」というポスタ-が見えたので、意味はよくわからないが、Virgin Atrantic航空にからめたコピ-ですかと質問すると、そうだとの答え。どういう意味だろうか。意味がわかったらなと思う。
 ELLER社のバインダ-ファイル、作品収録したCD、「Almanac 2000」という料金表、などのお土産をいただいた。膨大な情報である。12:30に、ELLER社の工場研修がおわった。

 午後からは、101号線を北上し、ウィルトン・プレイスにあるメトロ・メデイア・テクノロジ-社での研修である。13:40に到着した。ここは媒体はやらない。製作、それも超大型デジタルプリント画像で世界のトップを行くという。日本には東京・麹町にパシフック・メデイア(株)という日本法人があるそうだ。玄関ロビ-から裏手の敷地にぬけると、あった、あった、完成したブルチン・ボ-ドが2基、ましましておわします。

ニューデザインの「ナイキ」と「ASAHI SuperDry」が折からの陽光を受けてきらめいている。1枚から1000枚まで出せるが250枚が一番いいい単位。平均的注文は70枚くらいであるという。ボブ・ハーニッシュ副社長、ビル石田支配人の先導で、クライアント・サービス・デパートメント室、スキャン・アンド・カラー室(顧客はみなCD-ROMでもってくるのでスキャナーは1台しか置いてない。マシンはやはりMACばかりのようで、Photoshopのヴァージョンは5.5で大体日本と同じ)、フレーム・ワーク室、フィニッシュ・アウト室などを見せていただいた後、2階のゲストルームに入る。片側のガラス越しに大きなドラム状の出力機が3台、1、2階ぶちぬきで見える。歓声があがった。14×42フィートのブルチンサイズ分を1時間45分で出力する。オハイオ州の本社工場にはここより大きい幅10メートル、円周19メートルのマシンが24台もあるそうだ。この体制で、世界145ヶ国に供給し、米国国内であれば最速3日で納品できるとのこと。なんとなれば、これらマシンの威力の他に4シフト交代で24時間体制をとっており、またオーストラリア、マレーシア、ブラジル、オランダに工場があり、インドとロシア(モスクワ)に工場を建築中だそうだ。

Q&Aは白熱した。
1.「データ作成は別として出力料はどのくらいですか」一概には言えない。具体的でないと。しかし十分ご満 足いただけると思う。
2.「色に神経をお使いになるということですが、遠方だとインターネットをつかいますか?」色校正にインタ ーネットは使わない。
3.「注文にピーク、オフピークはありますか?」極端には無い。しいて言えば、10月、1月。
4.「耐候性5年ということだが、米国は寒暖の差もはげしいが....。」サウジアラビア向けにもロシア向けにも 同じビニールを使う。
5.「そのビニールはどんなものですか?」ビニール素材の種類はたくさんある。ポピュラーなのはヨーロッパ 製で5種類くらい。他にアジア、北米、南米製を使用している。
6.「こちらでは、廃品処理はどのようにしていますか?」使うビニールは3回までリサイクルする。ペイント を剥がして3回まで使う。3回以上はビニールが薄くなる為使えない。そのあとは、小さく切ってテントに したりする。
7.「日本では塩化ビニールは公害上あまり使わないよう言われているが、こちらでは、どうですか?」こちら では、それはない。ペンキの規制の方がある。
8.「あのマシンの値段はどのくらいですか?」特注だからいくらとは言えない。「すると市販ではないわけで
 ?」違います。
9.「出力素材、(メディア)はどんなものですか?」キャンバス、ウォールカバー、プラスチック、などドラ ムに巻けるものならなんでもできる。
10.「このように成功している理由はなんでしょうか?」優秀な営業マン、優秀な商品と技術、マネジメント .....である。

かの「MMT」というのはこの会社のことだ。メトロ・メディア・テクノロジー社での研修は2:50に終わった。帰りのバスの中で、高橋社長の補足説明。「(午前中の)エラー社からこちらに移って来た人も多いのです。」
 ホテルに帰るバスの中で、今夜デトロイト・タイガースの野茂投手がアナハイムのエディソン・フィールド球場でアナハイム・エンジェルス戦に先発するということで、観に行きたい希望者が募られた。
1人90ドル。送迎バス付、ガイドさん付きではまあまあの値段であろう。もちろん参加することにする。
ホテル発は5:30ということでそれまで2時間ほど時間があった。田口団長(日清紡)と栗原氏(桜井)がショッピング・センターかモール、またはアウトレットを見に行きたいというのに便乗させてもらって、ダウンタウンにある「セヴンス・マーケット・プレイス」というショッピング・センターに行った。なにしろアウトレットがらみには目がなくなっている。タクシーで7、8分、6ドルの距離であった。
市内中心部の金融街(高層ビル街)のすぐ近くにあり、建物は地上1階と地下1,2階の円筒形の構造で中心が吹き抜けになっている。都心に位置するだけあって小ぎれいであったが、アパレル中心の普通のショッピング街で、田口、栗原両氏にとってもなにか目新しいものはなかった様子である。
帰りは時間をかけてフィグエロア通りとファースト・ストリートを歩いて帰って来た。約50分かかった。
 エディソン・フィールドには6:40頃到着し試合開始の7:05には悠々間に合った。夕食は球場内のテイクアウトの店で美味しそうタレのかかったアメリカンフードを買ったが中身はトンガリ帽子の形のコーンチップスばかりで味もそっけもなく、食欲を誘わないものであった。一緒に買い求めた第3グループ長の中野氏(東京メディアサービス)と顔を見合わせてしまった。
しかし席は一塁側の外野寄りの1階席で、ライン・ドライブのかかった強烈なファウル・ボールが飛んできそうな、金網など張ってないからスリリングな席であった。ゲームに参加している感覚だ。
 さて、野茂投手であるが、今年はここまで1勝1敗、開幕戦で勝利投手になったもののその後は好投するも援護がなくノモ・マニアとしては今夜あたり2勝目を期待したいところだ。現に防御率はボストン・レッドソックスのペデロ・マルチネスに次ぎ、アメリカン・リーグ第2位であり、投球内容は抜群にいいのだ。
いきなりタイガースは1点を挙げる。援護が早くこれはいいぞ、と思っていたら2番ケネディ2塁手にライトへ2ラン・ホームランを打たれた。
さらにヒットやフォアボールで満塁。さらに2,3点取られたと思えたほどエンジェルスは盛り上がったが、野茂はさっきのホームランの2点だけに抑えた。ここらへんは野茂である。ハラハラさせられるが、やはり後続は断ってしまう。5回にタイガースは追いつき2対2の同点。ここからだ、と応援に力が入るが、均衡はやぶれない。とうとう野茂の投球数が100球を超えたらしい。7回表限りでスィッチされた。7回裏のエンジェルスも0点。水木氏(三和プラスチック)の提案で7回までで引き上げることになっていたので残念だが引き上げる。このあとエンジェルスは長谷川がセット・アップで登板、試合はタイガースが勝ったと翌朝聞いた。
11:00頃ホテルに帰った。会社からのFAX第1号が届いていた。


3日目 合衆国西部時間2000年4月26日(水曜) 
Los Angeles →Las Vegaz
9:00にホテルを発ち、101号線を北上する。今日はユニヴァーサル・スタジオ見学とラス・ヴェガスへの移動で会社研修等はない。
テーマ・パークとしての「ユニヴァーサル・スタジオ」は映画で一旦稼いだあともう一度観客をスタジオに引き寄せて稼がせてもらうという商魂もあらわな場所である。
ユニヴァーサル・トリムというテーマ・パークならどこでもお馴染みの乗り物手段に嫌々乗る。
「サイコ」に出てきた丘の上の家、「ジョーズ」に出てきた張りぼてのジョーズ」、「十戒」に出てきた紅海の割れるトリック、があった。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」館は退屈極まりない。「ウォーター・ワールド」(活劇)は楽しめた。(英語、スペイン語の他に日本語のアナウンスがあった。)
「ジュラシック・パーク」は終わってみれば何のことはないが、入場して行く時の興奮は映画のイントロの部分の興奮と同じであった。
13:30にユニヴァーサル・スタジオを去る。
 LAX 15:45発

Las Vegazのマッカラン空港16:50着(実際は40分ぐらいの飛行であった。)ゲートを出ると、早くもスロットマシンの行列である。
 ラス・ベガスでのテーマは、テーマパーク的カジノ・アンド・ホテルの屋外装飾・屋外広告と、フリーモント・エクスペリエンスの見学・視察である。
まずテーマ・ホテル街を中心にねりまわる。土地勘が無いから、どこがどうだか、さっぱりである。高橋社長は古い施設順にバスを巡らせて解説する予定でいたらしいが(その方が街やホテルの発展経過がわかる)、バスが勝手に順番ごちゃ混ぜに回ったので、少々お冠であった。以前「日経」等でラスベガスはカジノだけの街から脱却を図っていると読んだことがあり、それを確かめたい気持ちもあった。だが高橋佐長によるとそれはないとのことだった。この到着の直後のバス・ツァーで印象に残っているのは、ピラミッド(ルクソール)とハーレーダヴィットソンの巨大模型(ビル店頭)とラスベガス・コンベンションセンターである。ブルチンも見かける。空き看板の英語は、AVAILABLEと書いてある。
 宿泊するパリス・ホテルに着いたのは18:50。ラスべガスで一番新しい出来立てのホテルで、客室3000室もあるという。隣の「アラジン」が来年オープンすれば2番目となるが、「アラジン」は改築ということだ。
その所有者は「コバヤシ」さんとのことである。
パリスのファサードにはエッフェル塔、凱旋門、があり、これらは実物の3分の1だそうだ。
館内に入るといきなりカジノだ。天井は空にぶち抜いてある。と思いきやそうではなく、天井に夕暮れの、薄昏の、消えかかる夕焼けと暗くなりきらないパリの空が描かれているのだ。これは斬新だ。
だが私はナショナリズムを発揮し、カジノ「インペリアル・パレス」へ出かける。各国のカジノ建物・オリンピックさながらに林立するテーマ・ホテル群を見ると負けてたまるか、という気持ちがムラムラと起こったのである。だが「インペリアル・パレス」は勝たせてくれなかった。
 20:30、ロビー集合で3時間のナイト・ツアーに出かける。(3時間、60ドル)
まず、21:00ぎりぎりにフリーモント・アーケードに着いた。420メートルの長さ、27メートルの高さのアーケードの天井に(210万個の)LED、イルミネーションを使った動画が、(250台の)スピーカーからの音響に連動して観るものを圧倒する。ヤングネオン社という会社が7000万ドルで製作したという。(メンテナンス料、別)60年代のポピュラー音楽(シュープリームス等)の聞き覚えのある曲もあった。高橋社長によれば、一世を風靡したヤングネオン社だが競争が激しいという。ラスべガス・ヒルトン・ホテル入り口看板(高さ80メートル、ワイド50メートル)を製作したのもこの会社ということだ。
 次はラスベガスで一番高い建物、ストラトスフィア―・タワー。展望台からは360度、宝石をちりばめたような鮮やかな夜景だ。遠くの黒いところは砂漠だ。この景色は何かの広告に使われてどこかで見た気がする。香港よりきれいだという人がいた。香港は区画がはっきりしないのと、360度ではないことで、この人は軍配をラスベガスにあげたようだ。空の大半を覆う巨大な宇宙船の船腹を上空に配置すればそれも見た気がする。展望台のさらに上部(地上280m)にはジェット・コースターとビッグショットがあり、ばたつく足の数々と絶叫が支配していた。誰彼となく興奮し、見ず知らずの老夫妻から一緒に写真に入ってくれと頼まれた。
 その次は、ホテル「トレージャー・アイランド」の海賊船とイギリス海軍の戦闘ショー見学か、ホテル「ミラージュ」の活火山噴火ショーの見学か、と楽しみにしていたが、夜間の大渋滞に飲み込まれ、時間切れでご帰館となった。ラスべガスに夜は無く、24時間、カジノは休まないのである。

4日目 合衆国西部時間2000年4月27日(木曜) 
 本日は、日中は完全に自由行動日である。オプションでグランド・キャニオンに12名、ゴルフに3名くらい出かけたようだ。私はテーマ・ホテル街と言われるそのわけを徹底的にみてやろうというつもりだ。
 パリス・ホテルはラスべガス・ブールバ―ドの東側にあり、つまりホテルを背に大通りを向くと西を見ることになる。大通りを隔てたその西正面は、ホテル「べラジオ」である。パリス・ホテルを引き立てているのは、例のエッフェル塔、凱旋門の他に、上部にバルーンをあしらった巨大なLEDの広告塔である。パリスの左隣の「アラジン」は工事中である。その先ひだりに、昨日のハーレーダビットソンの大模型、ホテル「MGM・グランド」がある。「MGM・グランド」の先は大きな交差点で左へ行くとマッカラン国際空港、右に曲がればインターステイト5号線である。交差点を渡った左側にホテル「トロピカーナ」があり、その先左側にはもうホテルはない。交差点を渡った右側は手前からホテル「エクスカリバー」、ホテル「ルクソール」、ホテル「マンダレーベイ」である。「ルクソール」まで行ってUターンした。先ほどの交差点のかど、ホテル「MGM・グランド」の向かいは「ニューヨーク・ニューヨーク」でエンパイアー・ステイト・ビル、クライスラー・ビル、自由の女神をあしらい、ジェットコースターが宙返りして絶叫が聞こえる。その先左(つまりラスべガス・ブールバードを北に向かって左)は「モンテカルロ」「ホリディイン」ときて「べラジオ」である。「べラジオ」の敷地は大きい。対面の「アラジン」、「パリス・ホテル」、「バリーズ」分の区画と同じだ。「べラジオ」を過ぎると、フラミンゴ・ロードが交差する。この交差点を渡ると、右に「フラミンゴ・ヒルトン」、「インペリアル・パレス」というぐあいだ。
「フラミンゴ」は買収されて「フラミンゴ・ヒルトン」になったが、ラスべガス発祥のホテルだそうだ。
左側には「シーザーズ・パレス」、「ミラージュ」、「トレジャー・アイランド」と続く。ここから先は、バスに乗る。終点のダウンタウン・バス・ターミナルまで往復4ドル。途中、右側に「リビエラ」、左側に「サーカス・サーカス」、昨夜のぼったストラトスフィア―・タワーがあった。日中、気温は37度Cまであがったが湿度が低いので、暑いけれども思いのほか爽やかであった。
 夜もテーマ・ホテル街の研究に繰り出した。まず18:30ロビー集合でホテル「リビエラ」でのショー「スプラッシュ」を見学(100ドル!)したあと、ラスべガスで最もネオンサインがきれいな場所は、この「リビエラ」のまわりであるとのガイドさんの説明で大通りに出てみた。なるほど、と思うネオン量である。「サーカス・サーカス」のファザード、「スターダスト」の広告塔、ちょっと古さを感じはさせるものの「リビエラ」の壁面。ハンバーガーの「マクドナルド」の店頭広告塔までネオンのアクションがあった。
高橋社長によれば、全日本ネオン協会の方々も脱帽したそうだ。ネオンの様子を説明するのに、写真ではとても説明しきれるものではない。ビデオカメラをおいてきてしまったので、ツァーが解散した後、ビデオカメラをもってタクシーで「リビエラ」まで戻り、納得するまでビデオをまわした。

5日目 合衆国東部時間2000年4月28日(金曜)
 本日は完全に移動日である。
起床 5:00、ロビー集合6:00、食事のあとホテル発が7:00。
ラスべガス・マッカラン空港発8:40。
乗り換えのアトランタ空港着12:47。しかし東部時間になったので15:47である。
3時間待機ののち、アトランタ発18:00。
オーランド着19:30。 もう暗くなっていた。オーランド空港付近のビルボードはOutdoor Systems社と、
Eller社で二分している観があった。さすがにディズニー・ワールドのお膝元というべきか、ビルボードも外照式が多く、三次元も多かった。
 移動するのが目的の日であったので、たいくつな時間が多かったが次のようなことがあって、気がまぎれた。
(1)ラスべガス・マッカラン空港で時間待ちしている間、うじ氏(三井物産)から、昨日、砂漠のど真ん中  にあるアウトレットへ行ってきた話を聞いた。はじめから、それがあるのを知っていたのではなく、「ど  こかアウトレットへ行ってくれ」と二人でタクシーに乗ったところ、ラスベガスの街を出、砂漠の中へ   30分も走り、予想外のことでどうなるのかと思いはじめた頃、突然とアウトレット(とカジノ!)が   現れたそうである。思うにそこは、特権階級らしき人間用の場所ではないか、とのことだった。
(2)昨日のラスべガスのゴルフ場でプレーした時の気温は38度C。暑くはなく、むしろ街に帰ってきた時   が暑かった。岩城氏(ジェイアール東日本)話である。
(3)グランドキャニオンへの飛行機は、シャトル便のように頻繁に発着していたのはいいが、往復ともに機  体がすごく揺れたそうである。
(4)アトランタ空港では、お土産にCD4枚と、地図を買う。
(5)アトランタ空港から搭乗する時、高橋氏が小太りのイタリア人のおやじさんに話かけられていた。
  「ナカタ、ナカタ。自分はローマから来たが、ナカタのファンだ。」と言っていた。
(6)アトランタからオーランド行きの機内で、左隣に座った女性は、フランクフルト(ドイツ)から帰って  きた途中のTWAのスチュワーデスだった。オーランドに帰るところで、オーランドには日本人女性の友  人がおり、自分も日本語を少しは知っているといって数字の「13,14,15,16・・・・」を日本語で  得意げにそらんじて見せた。
(7)オーランド到着後の夕食は「Disney Village」の「マーケット・プレイス」にあるシーフードのレスト  ランへ行って、地元のビール、ペンシルバニア産のワイン、野菜サラダ、ロブスター、カニ(クラブ)を  たっぷり食べた。

6日目 合衆国東部時間2000年4月29日(土曜)
 久しぶりに公式スケジュールの日となった。
 9:30ホテル発、10分くらいでフロリダ州オレンジ郡(カリフォルニア州のオレンジ郡と同名)コンベンション・センターに到着し、4/27から開催されているISA(国際サイン協会)の第54回SIGN EXPO(サイン資機材展)の視察、研修である。
35万平方フィート、1250ブースの会場に、アメリカ国内、ヨーロッパ、カナダ、南米、アジア(韓国、中国、イスラエル等)から457社が出展。日広連が毎年主催するサイン・アンド・ディスプレーショーと同様の内容だが、会場の広さは数倍で、なんと高所作業車の出展もある。(もっとも今年からは日広連のショー会場も東京ビッグ・サイトに移り、高所作業車のブースも出来るというので期待したい。
 目的のブースは主にインクジェットプリンターのコーナーで、まずアメリカ製のサルサを見たい。SALSA(サルサ)5A,SALSA10Aが出展されていた。これらは出力解像度最大600dpiである。SALSA10Aの出力幅は最大3.2メートル。日本には1台しか輸入されていない。(サルサ8Aは5台輸入、出力幅2.4メートル)説明員によれば、これらのサルサは「(かのロス・アンゼルスの)メトロ・メディア・テクノロジー社の出力機より高画質である」そうだ。日本に1台機械を輸入したのは、大阪のK社のようだ。
ところでこのサルサを産んだサインテック社であるが、出力素材(メディア)たるフレキシブルフェイス(商品名 Flexface)を扱うアーロン社と、ハードたるサルサを扱うサルサ・デジタル社にわかれたが、日本では、サインテック・ジャパン社が両社の商品を扱っているそうである。高橋社長の勧めにより、イスラエル製のNur(ヌール)も見る。アメリカのVutek(ビューテック)も見る。インクジェットのライバルたるスリーエムのスコチカル・プリント(?)見る。インクジェットやこれら大型のデジタル・プリンターによって、屋外の大型のグラフィック表現が完全に可能になったのである。その可能性は無限だし、競争も激しい。
 デジタルプリンター(インクジェットプリンターを含む)のほかに興味を持って見たところは次のようなところである。
  1.高所作業車コーナー(Crane Truck Exhibits)。BRIAN DUDLEY社(カナダ)、PHOENIX社(カンサ   ス州)、GIUFFRE BROS社(ウィスコンシン州)等。PHOENIX社のブランド名は、SKYHOISTでそ   のRX87の87とは87feet伸びる、という意味であると説明していた。
  2.ラスベガスにあったパリス・ホテルの巨大バルーン型入り口看板のLEDは、DISPLAYVISION       TECHNOLOGIES社製ということがわかった。そのパンフレットによれば、ラスベガスでは他にも「マ   ンダレー・ベイ」、「MGM グランド」などの入り口看板のLEDがこの会社の製品である。商品名   は「DISPLAY AD」のようだ。
  3.Ad Art Electronic Sign Corporation。商品名「AD ART」。(LED)
  4.Focus社(ドイツ、ライプニッツ市)。カッティングマシーン。
  5.RAS Folding System。ターボのベンダー(折り曲げ機)。
  6.Matthews Paint
  7.HOLOPHANE社。照明。 ”Leader in lighting Solusions.”
  8.ORACAL社
  9.FOMETCD社。照明。
  10.Robotic Digital Graphics社。
  11.LEDの実物展示はたくさん出展されていたが、上記2. 3以外の主なものは、以下のとおり。
      ALPHA VISION       (Adaptive Micro System社)
      SMARTVISION
      BARCO           (BARCO PROJECTION SYSTEMS社)
      SAMSUNP-AP        (韓国、三星社)
      Stella Vista
      MULTIMEDIA        (Electronic Programmable Signs)
      DAEHAN ULTRAVISION
      Daimond Vision      (MITSUBISHI)これはLEDというよりLSVDである。
 
 12.イスラエルのMatan社のデジタル・プリンター、Mimakiのインクジェット、Encad、は見落としてし   まった。
 13.本年11月30日より12月2日までSIGN WORLD USAが開かれる(UNITED STATES SIGN COUNCIL主   催)ことがわかる。同じく11月23日から26日まで KOSIGN (KOREA INTERNATIONAL SIGN     SHOW 2000)が韓国ソウル市アトランティックホールで開かれることもわかった。

16:00から17:00まで、Room224AでISA幹部とのミーティング(Asian Delegation Meeting)が開かれた。CEO(Chief Executive Officer)のラフィン氏、キャロラット会長、ジョー・リックマン副会長、カーク・ブリックマン連絡部長や経理担当部長、前会長さんなど7名の幹部が見えられた。Q&Aを通じ、関心をひいたことは以下の通り。

 1.本年の規模。1250ブース、457社が出展。会場の広さは35万平方フィート。
 2.出展料。1ブース$2500。(10×10平方フイート)正会員の場合。
 3.ISAは以前はNESAという組織名だったが、ネオン会社を省きISAとなった。現会員数は1321社。㈱総合  報道は1982年に加盟、日本ネオン協会も1999年に加盟。
 4.加盟社の内容は、
  1)サイン製造会社(Sign Manufacturers)
       サインの種類によりカスタム・サイン、アーキテクチュア・サイン、コンピューター・サイン       などに分類できる。
  2)サイン流通業社
  3)代理店 等
 5.会社の規模別では、全米、カナダの78~79%が従業員10人以下。ファミリー企業も多い。25~30社が  全国展開の大企業である。
 6.OAAA(オースリーエー。全米屋外広告業協会)にも重複加盟している会社は20社程度。OAAAとISAは  うまくつながっていない。(Meshしていない。)
 7.ISA内では昨年5社で企業買収があった。規模を求める買収(take over)というより、自社にとって    fitする部門を持つ会社であることが、買収の条件である。
 8.全米では8万地区でそれぞれの広告規制を行っている。ISAは全米を9地区に分けている。ただし、ISAは  その会議等に招かれていないので、ガイドラインを提出している。サイン使用の基準を作るために、アメ  リカン・プランニング・アソシエーション(APA)と協同で2年間の研究を行っている。予算は主として  ISAが出したが、3~4ヶ月後に研究がまとまる予定。
 9.規制は、高さ、セットバック、光の点滅(フラッシングライト)、動画などに対して行われる。
 10.規制は、連邦法ではなく、地元の法令の方が多い。
 11.ISAは、サイン設計のコンテストを行っている。全領対象。
   建物・施設へのサイン、車両サイン、文房具、ノートなどステーショナリーへのレターヘッドサイン、   名刺のサイン、の4部門。(後者2つはデザイン賞のようなものだろうか?)「日本ではこのようなコ   ンテストの審査員は何名くらいでやっているか。その内訳は?」と逆質問があった。
 12.コンテストの他に、各種の賞を制定している。ベスト経営者賞、ベスト個人賞(カーク・ブリックマン  賞)など。このへんはいかにもアメリカらしい。
 13.最近の傾向として
  1)LED、ビデオが増加している。
  2)製造機材が良くなっている。金属折り曲げ機 等。
  3)デジタル・プリンターが高画質化してきている。
  4)ネオンでは、グランド・フォルト・プロテクション・シリーズという新しい商品が出てきた。

夜の自由時間は、ディズニー・ワールドの中心エプコットセンターで花火を見、(東京ディズニーランドの花火と違い、湖でやるので幻想的だった)ディズニー・ダウンタウンの「ザ・ハウス・オブ・ブルース」でケイジャン料理のジャンバラヤ、ビール、ワインとブルースのライブを楽しむ。後者はブルース・ブラザーズのスタッフの経営というのでお目当てであった。

7日目 合衆国東部時間2000年4月30日(日曜)
モーンング・コール7:00、朝食8:00、ホテル発9:00。
オーランド空港発11:30。
ニューヨーク・ラ・ガーディア空港着14:03。

ニューヨークでの今日の行動は、市内見学である。ラ・ガーディア空港からマンハッタン・ブリッジを渡り、マンハッタンに入り、ソーホーをちょっとまわって、バッテリー・パークで1回目の下車。ニューヨーク湾は波立っており、自由の女神は逆光気味であった。フルトン魚市場そばのピアー17で2回目の下車。以前と変わらぬ賑わいだ。その後、ハウストン・ストリートとブロードウェイの交差点で3回目の下車。いわゆるソーホー(SOHO)の入り口であり、巨大壁画のニューヨークにおけるメッカの一つである。自分としては4回目のニューヨークであるが、この地域には来たことが無かったので、今日のメイン・イベントである。「BEEF EATER」、「DKNY」、「カルヴァン・クライン」「エビアン」などの壁画=ウォール・ペイント(ロス・アンゼルスではウォール・スケイプと呼んだ)。「GUESS」などのブルチン(30シートかな?)。笑っちゃったのは、地下鉄の入り口の表示「NO ENTRY」(ここからは入れません)のあとに「.com」(ドット・コム)の文字を誰かが貼り付けてあったことだ。それほど、ドット・コムはブームなのである。
とにかく、屋外広告という広告の70~80%にホームページやEメールのアドレスがでかでかと書かれている。(それはロス・アンゼルスの第1日目ですでに目の当たりにした。)日本でもけっこう書かれているが、なにかキザっぽく感じたものだが、こちらは本場だとはいえ、その迫力に現実の重みを知る。
日本も負けていられないぞ、と思う。手始めに我がアポロ広告社のホームページ・アドレスを(借りサーバーとはいえ)apolload.com(アポロアド・ドットコム)で旅行前に確保しておいた先見性を我ながら正しかったと思うと同時に、問題は中味だ、と痛感する。フランスのエビアンさえ、evian.comだった。(会社の規模が違いすぎるが。)SOHOではもうひとつ、ワイルド・ポスター(wild poster)というものを見た。地主に断りなく違法にベタベタ貼ってあるように見えるが、ちゃんとした有料の広告媒体。工事現場の囲い(かこい)ほど立派ではない軒下とか、地上から手の届く壁面にベタベタ貼るのである。広告料は短期で、パンチがあるから高めだという。
 SOHOのあとは、ワールド・トレード・センタービル近くのバッテリ^ー・パーク・シティ。
ホテルはタイムズ・スクエアにあるルネッサンスホテル。
夕食は有名なステーキハウス「        」でまたまたたらふく食べ、Taxiでエンパイア・ステート・ビルへ行く。4回目で、少々マンネリズムである。帰りは歩く。

8日目 合衆国東部時間2000年5月1日(月曜)
本日は公式行事が2つある。午前中のマクドナルド・メディア社と午後のスペクタカラー社である。
 まず、9:00から近くのエジソンホテルで、マクドナルド・メディア社の講義とQ&Aである。
マクドナルド社は本社はニューヨーク。社長はA.マクドナルド女史で総合広告代理店オグルビー&メイザー社より独立。アウト・オブ・ホームを核に活躍中。主な広告主は、ケーブルビジョン、ベックスビール、フレンチコネクションなど。講義(レクチャー)は、A.マクドナルド社長が直々に「On the Road Again:A Look at Out-door」というスライドを使用して行った。要点は以下の通り。
 1.媒体の種類について
  (1)Billboard Media
     Painted Bulltins    (14’×48’)。 許可しない州もある。
     30-Sheet Posters  (12’×24’)。
      8-Sheet Posters   ( 6’×12’)。
     Spectaculars     値段高い。1ヶ月15万ドルの3年契約のLong-term Commit-ment
     Mobil Billboards   (12’×24’)。
  (2)Going "off Road"
     Bus Shelter       (6’×4’)。歩行者をターゲット。内照式(バックリット)。
                角度はLosでは45°、New Yorkでは90°
     Wild posters
     Phone Kiosk     New YorkのみだったがLosのビーチサイドにもできる。
     One Sheet Poster   8-Sheetより小さく、コンビニ、デリ用。安くでき、ターゲットに届く。
                 (Hightly Targeted)
     Subway Entrances  
     Bus Backs / Bus Fronts / Bus側面
                (日本でもバス外部広告は屋外広告である)
                 People Mover(マイアミのシャトルバスの愛称)
     Wall Scape      ビニール・メッシュにプリントする。空気が抜け出るので接着はしっか                 りできる。ビニール・メッシュが実現するまではWall Scapeは不可能で                  あった。”Tall Walls”(LOS)
     San Francisco Kiosk  サンフランシスコ金融街のみにあるKiosk。トイレ、ニューススタンド                  が入っている。
  (3)On the train/In the Subway/At the Station